行者視界







美山・和泉の行者は高野山の祠とは比較にならない質素なものであり、行者がどんな「行」を行ったのかさえ伝え聞いていないが、我が先祖達は真摯に奉ってきたことだけは確かであって、我々の世代においても子々孫々まで継承したいと切望しながら今年も参拝を済ませた。祠からの眺望は近年大きく様変わりし、信者の心境も大きく変わったことを「行者」はどのように受け止めているのだろう。我々がどのように継承すれば良いのかを論ずる必要があるのかも・・・